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あのような開けた場所での愁嘆場もなかろうと。良親が滞在するべくリザーブしていた部屋へと一旦引いて。崩れるほどにも化粧はしていないというそのお顔から、それでも涙の気配が去るまでと。窓辺の応接セットに女史を落ち着かせると、自身は隣室のホームバーにて、コーヒーなぞ淹れにかかる。此処に来るといつも取るこの部屋は、長期滞在用にと良親が年間契約している隠れ家のようなもの。…といっても、如月や征樹、果ては勘兵衛にも知られているので、隠れてなんてないのだが。外出用にと羽織っていた堅苦しいジャケットを室内着のカーディガンへと着替え、芳しい香がほのかに立ちのぼる頃合いには、銀龍の感情もその波立ちを静めていたようなので、少し大きめのマグカップへとミルクをたっぷりと足してのカフェオレにして供すれば。日頃はブラックで飲んででもいるものか、少々戸惑ったようにしていたものの。白い両手で包むように持ち上げた、カップの暖かさには絆されたらしく。素直に口をつけ、ほのかな甘さに気づいてか、思わずだろう同じ口許をほころばせるのがまた、本人は自覚がないらしかったが何とも言えず愛らしく。スーツのままでは肩が凝ろうと、やはり上着だけをざっくりとした編み目のカーディガンへと替えさせれば、男物ではさすがに大きいせいか、ますますのこと冴えた印象が随分と薄れてしまった女史であり。
「…そうか、ではあの細工はお主が手回ししてくれてのものか。」
勘兵衛の発案により、それは派手な退院の一幕を披露したのは、やはり…七郎次が表世界から縁を切ることへの切っ掛けにするためのセレモニーも兼ねており。そういう恐持ての筋へとわざわざ特攻取材をかけるほど無頓着な手合いもそうはおるまいし、良い意味でも悪い意味でも日々のニュースには事欠くまいから、記者らも視聴者も彼を忘れ去る理由には困らないに違いない。ただ、彼の出身地であることが知る人には知られている、彼が育ったとされている東北のあの施設へは、もしかしたなら心ない連中が執拗な取材をかけるかもしれない。また、そのような関わりの出来た施設よと、様々な筋からあらぬ疑いだって掛けかねられぬ…と。日頃は豪気な言動をしつつも、女医という立場にあるせいか、困らぬだろか大丈夫だろかと素早く案じていた銀龍だったが。そこへと勘兵衛からの連絡があり、
―― 検索という格好では、あの施設への関わりを追えぬよう、
七郎次との関係示す登録や何や、すべて抹消されていると
それだけじゃあない。マスコミ筋にも放ってあった伝手へ、それとなく訊いて回ったところによれば。あれほど新進気鋭と持て囃されてた、話題の人だったはずの“河西七郎次”を取り沙汰する者や声は、テレビも雑誌も新聞は勿論のこと、メディアとは縁の薄い興業系の関係筋に至るまで、もはやほとんどいないとのことであり。
「いくら、年末なんていう慌ただしい時期だからって言ったって。
今やネットという眠らぬ媒体もある御時世だってのに。
そちらでもチラとも掠りもしないなんて、むしろ不自然すぎる采配だ。」
どんな手での検閲行為を下したものかと、恐れ入る手管を暗に皮肉れば。ローテーブルを挟んでの、向かい側になるソファーに腰掛けた美丈夫は、
「まあ、個人的なファンサイト辺りにまでは、
キリがないのでいちいち手出ししておりませんが。」
あえて否定はしませんとの含みもて、きっちり返すところが卒のないことよ。先程から、その口調を彩っていた西の訛りが消えていたのには気づいていたが、
「七郎次…おシチは、俺にとっても可愛い後輩ですからね。」
要領のお悪い勘兵衛様をよく助け、理不尽な境遇にもよく耐えておりましたし…と付け足して。くすすと微笑った強かなお顔にこそ、ようよう覚えもある銀龍としては。何だかペースを崩されているのが落ち着けない。そもそもは、詰(なじ)りに来たはずなのだ。当事者でなければ信じ難いこと。どんなに言を尽くしたとて、信じてはもらえなかろう、切ない記憶を持つ身であること。そんな人間がいるということを…全てを知っていながら、なのに素知らぬ顔で通していたなんて。
「…黙っていたのは何故だ。」
何をという箇所が省略されていたが、わざわざ訊き返すほど機転の利かない野暮ではない。というよりも、省略されている部分はもはや動かさざる事実だと、そうとクギを刺されている訊かれよう。彼もまた 前世の記憶を持ったままにて転生した身だというのは、もはや明らか。そうであるにもかかわらず、こちらもまた同じ境遇の存在と気づいていながら、何故に白々しくも知らぬ顔で通した彼なのか…と訊いている銀龍であり。切れ長の双眸が真っ向から見据えて来るのへ、こちらもまた微塵も動じず、
「…それをあなたが訊きますかね。」
「気づかなんだこと、今 責めるのか?」
きゅうと眉間を寄せた銀龍であったものの、ふふんと柔らかく微笑う良親の余裕には、実のところ歯が立たぬ。それと気づいたのがつい昨日という、すっかりと出遅れた身なのは事実だし、
「勘兵衛様を詰ることが出来ぬ言いようになりますが、
覚えておいでじゃないところへ、思い出せと詰め寄る訳にもいかんでしょう。」
こちらの立場もありましたしねと、そんな付け足しをした彼ではあったが。
「それにしては、あの対峙ののちにも何かと接触を持って来たではないか。」
「そりゃあ、皆さんが気になっておりましたゆえ。」
そんな言い回しをした良親へ、
“証しの一族を知ってしまった者への、監視のため…か。”
感傷的な意味合いからではなく、そんな冷ややかな“策”のための采配だろと。即座に気づいた自分へも苦笑が洩れる。言いようだけじゃあない、きっと…彼はその身ひとつで我らを鬼神の一派から、仲間であるにもかかわらず刃向かってでも、庇う気でいたに違いない。昔のよしみというのも妙な言い回しになるけれど、それは危険な組織と接触してしまったこちらを気遣ってのこと、後難が起きぬようという意味合いからも見守るつもりがあってのそれで。唯一直接の接触を持った銀龍へ、状況の急変はないか、困った事態になってはないかと探るのを兼ね、何かと近づいていたのだろうに。
“……気づいてほしかったからかもと思うのは、自惚れだろか。”
だとしたならば、その銀龍が彼を全く思い出せなかったのは結構な苦渋だったろに。それもまた きっちりと隠し通して。六葩が向こうの七郎次を気に止めた理由も…前世との関わりという下地あってのことと重々判っていながら、やはり深くは掘り下げぬまま。興信所を使って嗅ぎ回ったその関心だけだと思い込んでる振りのまま、以降も未練を持たぬかという形にし、そんな遠回しに拵え直して案じてくれてた気遣いを。今になってありがたく思う自分が、いかに直情で幼いかと思い知る。戦時中ならそれで良かった。単なる駆け引きならケアまでは要らぬ。相手を出し抜きさえすりゃあよかったのだし、自分らがいた“前線”は、どんな練達でも自分の命を抱えて守り切るので精一杯な場所であり。気遣いが要らないとは言わぬ、ねぎらいの言葉一つに胸がじんとした覚えもあったけれど。甘言で油断させ、どんどん付け入る間諜もまた絶えなかった世界では、利口怜悧でいないと命さえ危なかったから。だが、この時代はそれだけではいけない。
「……。」
お道化た振りでソフトな言い回しをされたというのに、一文の得にもならぬだろ手厚い気遣いだってされているのに。すぐさまそんなベールを剥ぎ取って解析してしまう自分の冴えが、何ともかわいげのない、味気ない性格よと思えてならず。この手に刀を握りしめ、直に命のやり取りしていたあの頃ならば…途轍もない規模の大戦の中に身をおいていた当時ならばともかくも、今はこんなにも平和な世であるのにな。どうしてこうも、警戒心ばかりが先に立つ性根をしている自分なのか。
“そういう料簡が役に立つよな、
相も変わらず殺伐とした世界へ身を置いてはいるが。”
一体どういう巡り合わせなやら、そんな可愛げのなさが図らずも役に立っているのもまた皮肉なもので。前世の前世の前世の誰か、よほどに深い業を持つ身だったのかなぁと。遣る瀬ない吐息をついつけば。
「…前世でも、無茶ばかりなさるのをさんざん案じておりましたが、
あなたはまるきり聞いてはくれませんでしたよね。」
大柄な良親のカーディガンにくるまれた肩が、よほどに頼りなく見えでもしたものか。さっきまでは丁々発止と、こっちの言いようへ容赦のない応酬を返してばかりいた彼が。今は少々、その口調を和らげており。だからどうした、説教かと。可愛げのなさを反省したのも束の間の幻か、やはりやはり突っ慳貪な視線を投げてしまう銀龍へ、
「この世代への転生においては、私だけが先んじていて。しかも出生地も大きく外れての西へ。」
これに意味があるかどうか、どんな意図があっての別なのかなんて、それこそこんな悪戯をした張本人にしか判らないことなのでしょうけれど。それでもね、同じく転生を果たされていた、こちらの皆様との出会いを持ったその折からのずっと、何でどうしてと考えぬ日はなくて、と。自分は砂糖もクリームも入れぬままのコーヒーを味わっていたそのカップ、テーブルに戻してのそのまま、視線をうつむけた良親であり。
「もしも、意味があるのだとすれば。」
妙に深々と考え込んでいるような、そんな口調になるものだから。何事かと気圧(けお)されてのこと、
「…? な、なんだ。」
ついつい居住まい正してしまった銀龍へ、
「年上にでもならなければ、
到底あなたは人の言を聞き入れぬということかと。」
「………言ってろ。」
昔はもっと、艶のあること言うたのに。なんて色気のない野暮天になったものかとそっぽを向けば。おやまあ、じゃあ今だったなら、想いの丈を聞いて下さいますのか?と。にぃっこり笑うところが、ちょいと図々しく構えるそこだけは昔と変わらぬものだから。どこまで本気か、掴めぬ男であるのがまた憎い。
“人の気を逸らすのが得意とは。
余計なところばかりが、勘兵衛に似てしまいおって。”
堅物な勘兵衛とは違い、万事ご陽気に運ぼうとする彼ではあるけれど。それならいいというものじゃあない。それが真摯な告白に通じるものなら特に……。
「銀龍様?」
「〜〜〜〜と、とにかくっ。////////」
うあ、何を言いかけたんだろかと。何を期待していた自分かを、垣間見たような気がした聡明な女史。あわわと焦って威勢を取り戻すのへ、微笑ましいことよとの眸を向けて。バレたなら去るつもりでいた心積もり、考え直した方がいいのかなぁと。こちらもこちらで、想定外な話の運びへ心揺れておいでの良親殿であったりし。幸(さち)薄い誰かさんたちの幸せをばかり案じてないで、自分たちのことを ちっとは考えたらどうですかとの、それこそ天啓なのかも知れぬ。一筋縄ではいかないご両人、そこへまで想いが至るのは、はてさてどちらが先なやら……。
〜Fine〜 09.12.27.〜12.28.
*やぁっと終わったぞ〜〜と いうワケで、
お待たせしましたの、波の随にsideです。
なんでこうも理屈に走るのか、
今後も、アクティブな展開の方は
宮原様にお任せ、ですかしら?(こらこら)
*やっとのことでカミングアウトした良親様ですが、
六葩様や七郎次くんには出来れば会いたくはないと思っておいで。
だって、今の時代の日本の極道であることなんて、
可愛い可愛いと思うほどの、
とんでもなく血塗られた半生を、既に送っておいでですから。
土地転がしに地上げや闇金、
みかじめ料や上納金の絶対厳守なんてゆ悪事も。
警察の眸を盗んでやってる分だけ、
大人しいもんだと思えるくらい。
已なきこととはいえ、
あの大戦中に匹敵するよな修羅場も幾つか、
踏み越えておいでの西の総代様ですんで。
だってのに常の冗談も口に出来ちゃうなんて、
どっかが歪んでるに違いない。
こんな自分には、それこそ関わるなと、
思っておいでに違いありませぬ。
どっちが修羅の道なやら。
これもまた、他山の石なんでしょうかねぇ。
ちとシリアスに語ってしまいましてすいません…。
こ〜んな屈折した奴ですんで、
ここは銀龍様に尻を叩いてもらって、
六花会にもたびたび手ぇ貸すくらいの
お茶目さんになった方がいいのかも?(また極端から極端へ…)
めーるふぉーむvv
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